池江璃花子さんは競泳選手として数々の大会に出場し多くのメダルを獲得し活躍しています。
そんな彼女のプライベートについて興味を持つ人は多くいるのではないでしょうか。
今回は、
についてまとめてみました。
池江璃花子の大学は日本大学!

白血病からの奇跡的な復活を遂げた池江璃花子さんは、大学生活でも大きな感動を与えてきました。
その舞台となったのが、日本大学スポーツ科学部です。
池江璃花子の大学は日本大学だった

池江璃花子さんが在籍していたのは、日本大学スポーツ科学部スポーツ学科です。
2023年3月に卒業しており、在学中は競技と学業を両立させていました。
入学方法はスポーツ推薦ではなく、AO入試(総合型選抜)でした。
遠征や練習で多忙な中でも、入試課題に丁寧に向き合い、合格を勝ち取ったことからも、努力家であることがうかがえます。
日本大学スポーツ科学部では、コーチング学を軸に、医科学や社会科学も取り入れた幅広いカリキュラムが展開されています。
偏差値は40.0~47.5程度で、「自ら学ぶ」「自ら考える」「自ら道をひらく」といった自主創造の精神を重視しています。
場所は、世田谷区下馬にあり東急田園都市線・世田谷線『三軒茶屋』から徒歩10分。
東急東横線『祐天寺』駅からは東急バスで10分の住宅街の中にあります。

2年次からは「アスリートコース」と「スポーツサポートコース」に分かれ、個々の目的に応じた学びが可能です。
池江さんはこの中で、競技だけでなく、支える視点や観る楽しさにも触れながら成長しました。
大学卒業後には、「この4年間があったからこそ、将来の夢に近づけた」とも語っており、スポーツ科学部での学びは、彼女の人間的成長にも大きく貢献したようです。
池江璃花子は大学在学中は闘病しながら水泳選手として活躍も!

池江さんの大学生活は、白血病との闘病と水泳復帰、そして仲間との絆に満ちた4年間でした。
1年次:闘病とチームとのつながり
2019年4月に入学した池江さんでしたが、そのわずか2カ月前の2月、急性リンパ性白血病と診断されました。
入学式への出席は叶わず、入院生活から大学生活が始まることになります。
それでも彼女は仲間とのつながりを大切にし、外出許可を得てインカレの応援に駆けつけます。
男子チームの総合優勝の祝勝会にも参加し、ギリギリまで仲間と時間を共有しました。
同年12月には無事に退院を報告し、復帰への一歩を踏み出しました。
2年次:競技復帰とインカレ出場
2020年8月、ついに競技復帰。
コロナ禍の中でのインカレ出場では、50m自由形で4位入賞という見事な成績を残しました。
「日大の一員としてインカレに出場できて嬉しかった」と語り、感動に満ちたレースとなりました。
3年次:東京オリンピック出場と仲間との栄光
2021年には東京オリンピック出場という大きな舞台に立ちます。
白血病発覚からわずか2年5カ月という短期間での奇跡的な復活でした。
インカレでも活躍し、50m自由形では優勝を果たし、100mバタフライではわずか0.01秒差で敗れ涙も見せます。
しかし、最終日の4×200mリレーでは見事な優勝。仲間との絆が光るレースとなりました。
4年次:キャプテンとしてチームを牽引
最終学年では女子キャプテンとして、チームの中心的存在に。
50mと100m自由形で2冠を達成し、最後のインカレを堂々と締めくくりました。
100m自由形ではわずか0.09秒差での勝利。4×200mリレーでも3位入賞を果たし、充実した最後の大会を終えました。
感動の卒業式とこれからの夢
2023年3月の卒業式では、「生きるか死ぬかの4年間だった」と振り返った池江さん。
「苦しかった時期を思い出せば、今の困難も乗り越えられる」と語り、多くの人の胸を打ちました。
将来は、アスリートとしての自分の経験を通じて、社会に役立てる存在でありたいとも話しています。
人としても、選手としても、大きな成長を遂げた大学生活だったといえるでしょう。
まとめ
今回は、
についてまとめてみました。
もちろんです。以下に、記事全体のまとめをお届けします。
池江璃花子さんは、日本大学スポーツ科学部で4年間を過ごしました。
スポーツ推薦ではなく、AO入試での入学という努力の末に学業と競技の両立を果たした姿は、多くの人に勇気を与えました。
在学中には白血病との闘病という過酷な経験を乗り越え、競技に復帰。
東京オリンピック出場やインカレでの活躍、キャプテンとしてのチーム牽引など、輝かしい実績を積み重ねてきました。
卒業式での「誰よりも充実した4年間だった」という言葉からは、苦難の中でも前を向き続けた池江さんの強さと成長が感じられます。
これからの彼女が、競技者としてだけでなく、社会に貢献する存在としてどのような道を歩んでいくのか、ますます注目が集まります。