俳優・岸谷五朗さんと、元PRINCESS PRINCESSのボーカル・岸谷香さんの長男として生まれた岸谷蘭丸さん。
2024年までは柚木蘭丸という名前で活動していましたが、同年12月に本名を公表し、新たなスタートを切りました。
現在は実業家、YouTuber、TikTokerなど幅広く活躍しており、難病を乗り越えた経験やユニークな学歴が注目されています。
今回は、
についてまとめてみます。
岸谷蘭丸の学歴まとめ!

ここでは岸谷蘭丸さんの学歴をまとめてみます。
どのような学校に通っていたのでしょうか。
小学校:トキワ松学園小学校(東京都)

蘭丸さんが通っていたトキワ松学園小学校の特徴を下にまとめてみました。
- 教育目標は「健康」「感謝」「親切」「努力」で、心身の健康と感性・知性のバランスがとれた豊かな人格の育成を目指しています。
- クラスは約23人前後の少人数制で、一人ひとりにきめ細かい指導ができる体制をとっています。
- モジュール制の時間割を採用し、教科や学年に応じて15分単位で柔軟に授業を組んでいます。
- 2年生から宿泊学習や体験学習があり、実践的な学びを豊富に取り入れています。3年生以上は年2回の宿泊行事があり、自然と触れ合う機会も多いです。
- 教室は可動式間仕切りで、児童の成長や学習形態に柔軟に対応可能な環境です。
- 男女共学で、1951年創立の私立小学校。
小児リウマチという難病を抱える中で、病気に理解がありサポートが整っており、教員も何かあった時に対処できるように薬を持っているという対応をしていたようです。
場所は、東京都目黒区碑文谷にあり、東急東横線『都立大前』から徒歩11分、同線『学芸大前駅』からは徒歩15分と立地もよく、電車での登校も難しくはないところです。

中学校:早稲田実業学校中等部(東京都)

- 創立は1901年で早稲田大学の系属校。校是は「去華就実」で、本質的な学力と人間力を育てる教育を重視している。
- 教育方針は「豊かな個性と高い学力を持ち、困難に負けない精神力を備えた人材」の育成。基礎学力の徹底と主体性・探究心を育むことに力を入れている。
- 授業では国語、数学、英語、理科、社会の主要5教科に加え、道徳や情報教育、外国人講師による英会話も取り入れられ、多様で実践的な学びが行われている。
- 中学3年生には卒業研究レポートの作成が課され、自ら考え深く探求する姿勢を養っている。
- ICT教育にも力を入れ、一人1台のSurface端末が配布され、教科横断的な情報活用が行われている。
- 生徒は文武両道を目指し、約45の部活動に参加可能で、特に硬式野球部は全国的に有名。運動部・文化部ともに活発。
- 自由度が高い一方、自分の頭で考え目的意識を持って学生生活に望むことが求められる学校である。
これらから、基礎学力の確立と自主性・探究心の育成を両立させ、充実した学校生活を送れる環境が整っている名門中高一貫校です。
偏差値は65〜72と高くかなりの進学校です。
小学校受験で不合格だった早稲田実業に、中学受験でリベンジ合格を果たしました。
「もう勉強したくないし、共学がいいから」という理由でこの学校を選んだと語っています。
場所は、東京都国分寺市本町にあり、中央線『国分寺駅』からは徒歩7分と近くにあります。

高校:アメリカ・Ross School(ニューヨーク) → The Hun School of Princeton(ニュージャージー)
中学受験をし、大学までエスカレーターと思いきや、当時の早稲田高等部(高校)は女子校だったため、再度受験することになります。
そして蘭丸さんが選んだ高校は日本を離れたアメリカでした。

Ross School(ロス・スクール)はアメリカのニューヨークにある私立校です。
規模は小さめながら在校生の半分ほどを留学生が占める、国際的な学校です。
- 強い分野はサイエンスで、校内に専用の「イノベーションラボ」があるくらい力を入れています。
- 学業外では特にテニスに強く、学業と訓練を両立させるためのスポーツアカデミーも開講しています。
- 勉強するにあたって特徴的なのが、参加必須のフィールドトリップです。実際の体験を通して学びを深めるコンセプトの元、生徒は3月になると1ヶ月の旅行に行き、現場でこそできる学習に臨みます。
その後、成績が優秀だったためThe Hun School of Princeton飛び級で進学をします。
場所はアメリカのニュージャージー州プリンストンにある学校です。

The Hun School of Princetonの特徴は下記のものです。
- 少人数制クラス(平均約12人)で、教師と生徒の関係が密接。教師の約75%は修士号以上の学位を持ち、高水準の教育を提供。
- 幅広いカリキュラムを持ち、約131科目を提供。特に大学進学対策として24のAP(大学先修)コースが用意されている一方、ESL(英語を第二言語とする生徒向けの授業)も充実。
- 学業面だけでなく、社会的責任感や成人としての素質を育成することを理念としている。
- 課外活動が豊富で、運動系14部活動、文化系36部活動を含む多彩な選択肢があり、生徒は多様な興味を伸ばせる。
- 寮生活が可能なボーディングスクールとしても機能し、規律正しい生活を通じて自己管理や時間管理、責任感を自然に身につける環境を提供。
- プリンストン大学に近接し、一部施設を大学と共同利用しているため、学術や文化面での恵まれた環境がある。
- 生徒数は約600名、留学生は15〜17%程度で、多文化で国際的な交流が盛ん。
- 週末の校外学習活動や専門の学校カウンセラーによる支援も充実している。
- 卒業生の約17%がアメリカのトップ50大学へ進学し、9.5%はハーバード、イェール、プリンストン、スタンフォード、MITなど名門大学へ進学している。
つまり、The Hun School of Princetonは学術的に多彩で豊かなカリキュラムと充実の課外活動を持ち、個々の生徒の才能や社会性の成長を重視しつつ、国際的な視野を育む質の高い名門のボーディング&デイスクールです。
大学:ボッコーニ大学(イタリア・ミラノ)

世界トップクラスの経済系大学で、QS世界大学ランキングでは経営・社会科学分野で世界10位に入っています。
他にもロンドン大学やニューヨーク大学などの名門大学に合格していましたが、最終的にボッコーニ大学を選びました。

幼少期は難病も患い辛い日々を過ごしながらも、両親が芸能人であるという立場から自分のことを「特別な存在」と認識していた蘭丸さんでしたが、当時のちゃらんぽらんな性格とはかけ離れ高校や大学ではとても優秀だったようじゃ。
人は変われるということなんじゃなぁ。
岸谷蘭丸の学歴は難病を克服し大学はイタリアへ進学

ここでは、岸谷蘭丸さんの学生時代のエピソードについてまとめてみます。
岸谷蘭丸さんは幼少期難病を患っていた経緯もあります。
その闘病生活も併せてサクッとのぞいてみましょう。
学生時代のエピソード
岸谷蘭丸さんは、3〜4歳の頃に小児リウマチと診断され、幼少期は入退院を繰り返していました。
常に体の痛みに悩まされ、座ることさえつらい時期が続いたといいます。
入院中には「いつ死ぬんだろう」と考えてしまうこともありましたが、本を読むことが唯一の心の支えでした。
両親は病気を理由に特別扱いせず、スキーやサッカー、水泳といった運動にも挑戦させてくれました。
その結果、病気があっても「普通の生活ができる」と実感し、前向きに過ごせたと語っています。
小学校では皆勤賞を目標とし、先生方のサポートもあって、体調が悪い日でも1時間だけ登校するなどの工夫で目標を達成しました。
転機となったのは9歳のとき、新薬「アクテムラ」の治験に参加したことでした。
服用した翌日から体が軽くなり、今まで感じていた痛みが消え、「これが普通の体なんだ」と驚いたそうです。
この体験から、「自分の人生は自分で切り開く」という意識が芽生えました。
小学校卒業時は「人生の全盛期」と振り返る一方で、中学2年頃から学校生活に違和感を抱き始めます。
授業中に寝たり、保健室で過ごすことが増え、ステロイドの副作用による体型の変化も相まって不登校になりました。
この時期、スマホゲームに1日10時間以上のめり込み、成績は学年最下位にまで落ち込みます。
このままではいけないと感じた彼は、中学3年の夏にフィリピン・セブ島へ短期留学を決意。
その経験が「世界で挑戦したい」という意欲に火をつけ、早稲田実業の高等部への進学をやめ、アメリカの高校へ進むことを選びました。
英語力は英検4級レベルからのスタートでしたが、「1学期ごとに1つ上のクラスに上がる」という目標を立て、毎日16時間の猛勉強を継続。
わずか3学期で3年分のカリキュラムを終え、進学校へ転校。
優秀な成績で飛び級卒業を果たします。
その後はアメリカのフォーダム大学に合格するも進学を見送り、ギャップイヤーを活用して日本でのインターンや家庭教師を経験。
自分を見つめ直す時間を過ごした後、ロンドン大学やイタリアのボッコーニ大学に合格しました。
最終的に選んだのは、アートやクリエイティブ領域の経済が学べるイタリアのボッコーニ大学。
「自分の興味に最も合った学びができる」と感じたことが理由でした。
現在は授業出席義務がないため、テスト期間に合わせてイタリアに滞在し、ビジネスと学業を両立させるスタイルで過ごしています。
岸谷さんは「勉強とは、自分の可能性を広げる手段」と考えており、自らの目標設定やシステム構築能力を磨きながら人生を切り開いてきました。
両親からは「人と違うって素晴らしいことだよ」と育てられ、その言葉が今も彼の信念を支えています。
将来は、日本に新しい価値をもたらす存在になりたいという夢を持ち、最終的には「政治家になりたい」と語っています。
まとめ
今回は、
についてまとめてみました。
岸谷蘭丸さんは、難病という過酷な幼少期を乗り越えながら、日本と海外の名門校で学び、現在は実業家や発信者として活躍しています。
その歩みには、家族の支えや本人の努力が色濃く反映されており、学歴一つひとつにも意味があります。
小児リウマチを克服し、挫折や不登校を経験しながらも、目標を見つけて前に進み続けた岸谷さんの姿は、多くの人に勇気を与えてくれます。
今後は「人と違う」ことを強みに、世界で活躍する存在になることが期待されます。
彼のこれからの挑戦にも注目が集まりそうです。