大和田伸也さんは俳優としてやナレーター声優としても幅広く活躍しています。
そんな大和田さんは女優の五大路子さんと1980年に結婚したことでも知られています。
二人の出会いには、お互いの共演が関係していました。
今回は、
についてまとめてみます。
大和田伸也の嫁は五大路子!

ここでは、大和田伸也の嫁・五大路子さんについてまとめてみます。
大和田伸也の嫁は五大路子さんはどんな人なのか
大和田伸也さんの妻は、女優の五大路子(ごだい みちこ)さんです。

本名は大和田美智子(旧姓・岩岡)さんで、1952年に神奈川県横浜市で生まれました。
桐朋学園芸術短期大学で演劇を学んだ後、早稲田小劇場を経て新国劇に入団。
1976年に「五大路子」という芸名に改名し、翌年のNHK朝ドラ『いちばん星』で主演を務め、一躍注目を集めました。
1999年には自ら劇団「横浜夢座」を立ち上げ、横浜をテーマにした舞台を続けています。
さらに、娼婦メリーさんを題材にした一人芝居『横浜ローザ』はニューヨークでも公演され、大きな反響を呼びました。
女優としてだけでなく、横浜の文化発展に尽力してきた功績が認められ、横浜文化賞や松尾芸能賞など数々の賞を受賞しています。
弟の岩岡洋志さんは「新横浜ラーメン博物館」の館長を務めており、文化や地域との関わりも深い人物です。
五大さんは、日舞や居合、三味線など幅広い特技を持ち、舞台女優として確かな存在感を示してきました。
また「横浜夢座」の座長として、自身のライフワークとも言える地域文化の発信を続けています。
女優としての華やかな活動だけでなく、人々とのつながりを大切にする姿勢が、多くの人に支持される理由といえるでしょう。
大和田伸也と嫁との出会いのきっかけは水戸黄門での共演!

ここでは、大和田伸也さんと嫁・五大路子さんの出会いから結婚、結婚生活などをまとめてみます。
二人の出会いから結婚
大和田伸也さんと五大路子さんの出会いは、TBSドラマ『水戸黄門』での共演でした。
1978年の第9部で共演し、大和田さんは格さん役、五大さんはゲスト出演として武家娘を演じていました。
こちらは、当時の大和田伸也さんが格さんを演じたときのものです。

五大さんの当時のものは見つけることができませんでした。
当初は挨拶を交わす程度でしたが、その後、偶然の再会をきっかけに親交を深めていきます。
再会後には互いに仕事の悩みを語り合い、共感し合うことで急速に距離が縮まりました。
初デートは映画館での鑑賞。
偶然にも似た服装をしていたことや、お守りのこけし人形が似ていたことなど、不思議な縁が二人を結びつけました。
その後、旅行や家族との交流を通して関係は深まり、1979年には大和田さんがプロポーズ。
正式に結婚の申し込みを行い、翌年1980年に挙式しました。
仲人は『水戸黄門』で光圀公を演じた東野英治郎さんが務めました。
結婚後は「友達夫婦」と表現されるように、互いを尊重し合う関係を築いています。
劇団を一緒に立ち上げた時期もありましたが、衝突を経て「芝居の夢はそれぞれで追う」と決めたといいます。
現在は次男夫婦と二世帯同居をし、家族での時間を大切にしています。
2025年には家族4人で豪華客船クルーズに出かけ、夫婦の馴れ初めを語り合う場面もありました。
熟年離婚の噂もありましたが、それは誤解で、二人は今も仲睦まじく結婚生活を続けています。
もちろんです!いただいた内容を踏まえて、記事の最後に添える「まとめ文」をご用意しました。
まとめ
今回は、
についてまとめてみました。
大和田伸也さんと五大路子さんは、ドラマ『水戸黄門』での共演をきっかけに出会い、数々の偶然や縁に導かれるように結婚しました。
結婚後は互いを尊重し合いながら「友達夫婦」として歩み続け、家庭と仕事の両面で支え合っています。
五大さんは舞台を中心に横浜の文化発信に尽力し、大和田さんは俳優として幅広く活躍。
二人は芸能界だけでなく、家族や地域との絆も大切にしている夫婦です。
長年連れ添いながらも今なお仲睦まじい二人の関係は、多くの人に温かい感動を与えています。