杉尾秀哉さんはTBSに記者職として入社してから、ニュースキャスターとしても活躍をしていました。
そんな杉尾さんですが、現在になって1995年の『オウム真理教TBSビデオ問題』が注目されています。
今回は、
についてまとめてみます。
杉尾秀哉とオウム真理教との繋がりは?

オウム真理教をめぐる数々の報道と混乱の中で、当時TBSのキャスターだった杉尾秀哉氏の名前が取り沙汰されることがあります。
ここでは、その事実関係を整理していきます。
杉尾秀哉とオウム真理教との繋がりはあったのか?
結論から言うと、杉尾秀哉氏とオウム真理教との直接的な繋がりは一切ありません。
ただし、TBS在籍時代に報道キャスターとして、オウム関連のニュースを多数担当していたことから、その名が浮上するようになったと考えられます。
特に、1995年に問題となったTBSビデオ問題の際には、杉尾氏が「JNNニュースの森」のメインキャスターを務めており、番組内で公式見解を述べる立場にいました。
このことが、あたかも本人が事件に関与していたかのような誤解を招いた一因かもしれません。
また、1994年の松本サリン事件では、誤った疑いをかけられた被害者・河野義行氏に対して、番組内で疑問を呈する場面があり、視聴者からの批判も集まりました。
ただし、杉尾氏個人がオウム教団と関係していたという証拠は一切なく、あくまで報道の一線にいた存在として捉えるべきでしょう。
杉尾秀哉のオウムとTBSビデオ問題は意図的だった?

TBSビデオ問題は、後に報道倫理を大きく揺るがす事態へと発展しました。
ここでは、当時の状況と杉尾秀哉氏の関与について詳しく見ていきます。
TBSビデオ問題は意図的に起こされたのか?
1989年10月、TBSの番組「3時にあいましょう」の取材班は、坂本堤弁護士に対するインタビューを収録。
同日、教団の修行「水中クンバカ」の取材も進められていました。
この取材中、番組スタッフとオウム教団の関係者が対立し、場を収めるため、プロデューサーの武市功氏と総合プロデューサーの多良寛則氏が主導する形で、坂本弁護士のインタビュー映像を教団幹部に見せてしまったのです。
この行為は、情報提供者の保護義務を著しく侵害するもので、報道機関としてあるまじき行為でした。
TBSは当初、この問題を完全に否定。
1995年10月、日本テレビがこの事実を報じた際、杉尾秀哉氏はキャスターとして「テープを見せた事実はない」と否定し、TBS側の公式見解を表明しました。
しかしその後、1996年3月にオウム幹部の公判で早川紀代秀氏のメモが公開され、TBSの主張が虚偽であったことが明らかになりました。
TBSはようやく事実を認め、関係者の処分を発表しました。
この一連の流れからも、TBSビデオ問題は計画的ではなく、現場の場当たり的判断から起こったものとされています。
とはいえ、TBSの組織的な隠蔽体質が、問題をさらに深刻化させたことは間違いありません。
また、インタビュー映像を見せたてしまった9日後の1989年11月4日に『坂本弁護士一家殺害事件』が発生しており、事件の発端になったのではないかと言われていました。
このことが、事件と直接関係したかはわかりませんが、当時の麻原彰晃に何らかの影響を与えたのではないかとも言われています。

杉尾秀哉氏は、事件当時の当事者ではなかったものの、キャスターとしてTBSの虚偽説明に加担したことは否定できない事実です。
その後、1996年には検証番組「証言・坂本弁護士テープ問題から6年半」の司会を務め、一定の説明責任を果たす姿勢も見せました。
当時どこまでの情報を杉尾さんが知っていたのかはわかりません。
しかし事件に対しただ原稿を読むだけだったにせよ、報道内容に対し何も思わなかったのかは疑問を感じずにはいられません。
まとめ
今回は、
についてまとめてみました。
杉尾秀哉氏とオウム真理教に直接的な繋がりはありませんが、当時TBSキャスターとして事件報道の渦中にいたことで、深く関わっていた印象を持たれやすい立場でした。
特に「TBSビデオ問題」では、番組のキャスターとしてTBS側の見解を伝え、のちに事実を隠蔽するかのような報道対応を担ったことが批判を集める一因となっています。
この問題は、取材現場での軽率な判断と、報道倫理を軽視したTBSの企業体質が引き起こしたものであり、杉尾氏が主導したわけではありません。
しかし、後に検証番組の司会を務めるなど、本人も一定の責任を担ってきたことがわかります。
報道の現場において、一つの判断が重大な結果を生むことを示したこの出来事は、今なおメディアにおける責任と倫理の重要性を問いかけています。
現在、彼は政治家としての道を歩んでいますが、当時の姿勢や現在の考え方がどの様に有権者の心を掴んでいくのか注目していきましょう。