横山裕さんは現在SUPER EIGHT(旧:関ジャニ∞)のメンバーとしてパーカッション、トランペット、ギターなど様々担当しています。
そんな横山さんには異父兄弟の弟が2人いますが、記憶喪失になったとも語られています。
今回は、
についてまとめてみます。
横山裕の弟が記憶喪失?

ここでは横山裕さんの弟が記憶喪失になったのかについてまとめてみます。
横山裕の弟が記憶喪失って本当?
SUPER EIGHT(旧関ジャニ∞)の横山裕さんの6歳年下の弟・つとむ(勤 または 努 など諸説あり)さんは、かつて記憶喪失を経験しています。
このことは、2017年1月放送のトーク番組A-Studioや、2025年2月放送の人生で1番長かった日で横山さんが明かしました。
きっかけは、2010年5月に母親が急逝したことでした。
2010年5月16日に大阪のスーパーで突然倒れ、そのまま亡くなった虚血性心疾患です。
亡くなった時の年齢は50歳でした。
直前まで元気に過ごしていたため、突然のことで非常に衝撃的な出来事でした。
当時、横山さんも青森でソロコンサートを控えており、開演の約4時間前に訃報を受けて出演を続けたことも知られています。
その間、次男である弟・つとむさんは兄弟の中で一番冷静に振る舞い、涙も見せなかったそうです。
しかしその1週間後、母親の死のショックと気丈に振る舞っていたことで我慢が限界になり突然倒れ、母親の死に関する約2年間の記憶が抜け落ちてしまいました。
弟・つとむさんは横山さんに電話をかけ、周囲の人が母親が亡くなったと言っていることに困惑していると打ち明けたそうです。
このように強いショックで記憶が抜け落ちる状態は、解離性健忘と呼ばれています。
辛い出来事から心を守るために、脳が無意識に記憶にふたをする防衛反応だと考えられています。
横山裕が弟の記憶喪失の理由である母の急逝で支え続けた2年間とは?

ここでは、横山裕さんの弟・つとむさんの記憶喪失のから記憶を取り戻すまでの横山さんや家族との関わり方についてまとめてみます。
弟の記憶喪失で今までの生活はどのように変わったのか
2010年5月に母親が急逝したとき、横山さんは弟たちが一人前になるまで自分が面倒を見ると心に誓いました。
記憶喪失となった弟さんを支えるため、横山さんは多忙な芸能活動の合間に旅行へ連れ出しました。
楽しい思い出を積み重ねることで、弟さんの記憶は少しずつ回復していったそうです。
横山さんは幼少期、両親の離婚や再婚など複雑な家庭環境で育ちました。
中学卒業後は建設会社で働き家計を助けていましたが、母親が旧ジャニーズ事務所に履歴書を送ったことで芸能界に入りました。
母親の死後、弟たちが施設に入る可能性があったため、自ら引き取り生活を共にしました。
次男は2016年頃に結婚しましたが、その結婚式費用を横山さんが支援しています。
式で弟さんが読み上げた感謝の手紙に横山さんは号泣し、予定していた演奏ができないほどだったといいます。
弟さんの記憶回復は、過去の出来事を受け入れ、人生を前に進める大きなきっかけとなりました。
横山さんの献身的な支えと家族の絆は、弟さんのその後の人生を大きく変える力となったのです。
まとめ
今回は、
についてまとめてみました。
もちろんです。
いただいた本文に沿って、記事の最後に入れるまとめ文を作成しました。
横山裕さんの弟が記憶喪失になった背景には、母親の急逝という深い悲しみがありました。
兄として支え続けた横山さんの姿は、家族の強い絆と優しさを物語っています。
記憶を失っても、共に過ごした時間や愛情が、その後の人生を力強く支え続けたことが伝わってきます。