2024年9月13日【尻呼吸】でイグ・ノーベル賞を受賞した、武部貴則さんの医者になったきっかけを見て見ましょう。
普通の家庭で育った
————父親はサラリーマン、母はパート、兄はロックミュージシャン———-
父親はサラリーマン、母親はパート、お兄さんはロックミュージシャンという家庭で育った武部さん。小学校は、横浜市立すみれが丘小学校を卒業。
中学・高校は私立である桐蔭学園中学校・高等学校を卒業しています。
桐蔭学園中学校・高等学校といえば偏差値が65−69と高めな学校です。
過去には東大や京大への受験合格者も多くいるところです。
確かにご両親は医者ではなく、純血の医者のサラブレットではないものの、武部さんの頭の良さの片鱗が窺わせる経歴なのではないでしょうか。
医者を目指した理由
————-当時、父は働き盛りの39歳だった。そして脳卒中で倒れた-———–
働き盛りのお父さんが脳卒中で倒れてしまい、一命は取り留めたものの、病室で別人のようになってしまった姿を見て感じたようです。
基礎疾患はあったものの、日常の仕事が忙しすぎて健康診断の数値も悪くても、薬も飲まなかったお父さん。
9割の確率で後遺症が残る恐れもあったが幸いにも後遺症が残ることはなかったよう。
そんなお父さんを見てきて、自分自身が医者になればこのような病気も治せるだろうと勉強し、横浜市立大学医学部医学科に入学し、2011年に卒業したようです。
医者になってから
———-医者は病気を治すのが仕事だが、その病気を予防することにアプローチはできないか——–
お父さんと同じように脳卒中に苦しむ人を助けたいという思いで医者になった武部さん。
当時、脳卒中の研究は多くあるものの、予防研究がないことに敗北感を覚えたようです。
病気の予防へのアプローチとしての広告
———広告が持つクリエイティブな力で、医療側の思いを実装したい———
最近では「健康は自分の問題」という考えになってきたことを疑問に感じているよう。
医療やIT技術が発展する前は、社会全体で健康を維持してきた。
社会や地域のコミュニティでの病気予防が主となっていました。
しかし、今は何故自分だけで解決させようとするのか。。。自分だけではモチベーションが続かず、
「病院は面倒だし、治療はつらいからいきたくない」
という気持ちにさせてしまっている部分もあのではないか、と医療を利用するにあたり幅の広さの向上を図ることができるのではないかと感じているようです。
だから、再生医療や治せない病気に対し社会コミュニティ一丸となって予防というスタイルで、
さまざまなクリエイターと関わり合って、社会に”病気の予防”を訴えて広告として広めることが必要なのではないかと考えているようです。
まとめ
いかがだったでしょうか。
・武部貴則さんは普通のご家庭で育ちました。
・医者を目指したきっかけはお父さんの脳卒中でした。
また、
・予防医学を提唱し、さまざまなクリエイターを通じて社会に広めていけるよう活動されています。
最初は純粋に病気を治したいと感じたことから医者になり、病気の根本的な予防に着眼し、”予防広告”としても活動している武部貴則さん。
調べていくととてもたくさん活躍をしているようです。
これからの活躍をますます期待していきましょう。