今回は、TBSアナウンサーの若林有子さんの英語力について調べてみようと思います。また、その英語力はどのように手にしたのかも調べてみようと思います。
プロフィール
名前:若林有子(わかばやし ゆうこ)
生年月日:1996年7月1日(28歳/2024現在)
出身:大阪府
所属:TBSアナウンサー(2019年4月1日付入社)
好きなこと:国内外旅行、季節を楽しむこと
趣味:ライブに行くこと、ゲーム、漫画
好きな食べ物:麺類、ぐみ
好きな言葉:「Be yourself」
中学時代の恩師の言葉。自分の軸になっている。
「意思あるところに道あり」
リンカーンが演説で用いたことわざ。悩んだ時や壁にぶつかった時に自分を奮い立たせてくれる言葉。
英語の腕前は
日本語と英語の早口言葉
若林さんが日本語と英語で早口言葉を言っています。→こちら(YouTubeに飛びます。)
アナウンサーの力を試すなら、対応力と滑舌を試す早口言葉と思います。
動画内では、日本語と英語の早口言葉が交互に表示され45秒で10個(日本語の早口言葉5個、英語の早口言葉5個)言えるかというゲームをしています。
見た限りではつまることも言い間違えすることもなくスラスラと言っているようで、凄すぎて思わず開いた口が閉まらない状況でした。
また、交互に表示されるということは日本語脳と英語脳の切り替えも素晴らしく瞬時に対応していた姿にはさらにびっくりしました。
TOEIC は890点
TOEICは3〜4選択肢のマークシート式。
TOEIC800点以上は、外資系企業も含めて、ほとんど全ての企業で、就職・転職時に足切りに会うことはないと言われています。
面接の時に履歴書に書いても誇っていいレベルということですね。
余談ですが、社内公用語を英語にしている楽天は、TOEIC800点以上の取得をエンジニア社員に課しているようです。
また800点以上は実践問題演習が相当必要なくらい、会話での言い回しなどが、難しくなるようです。
つまり、890点を取った若林さんは英語が相当できる!ということがわかります。
英語力の習得方法は
過酷な環境での歯を食いしばるような努力
————ニューヨーク生活は歯を食いしばって過ごす時間のほうが長かった。————–
若林さんは中学・高校と4年半アメリカ・ニューヨークの現地の学校に通っていた帰国子女です。
2023年11月5日放送の【安住紳一郎の日曜天国】では安住さんが遅めの夏休みを取ったため若林さんが代役を務めた。
当時の苦労話を詳細に語っていました。
今でさえ、自己紹介ではアメリカに住んでいたことをアピールしているが、昔はコンプレックスだった。
小学校卒業後、すぐに親が海外で働きたいという希望で一緒に行くことになった。
アメリカに行くことは卒業式1ヶ月ちょっと前に決まっていたが知らされたのは卒業直後だった。
親から「4月からアメリカに引っ越すから」と言われ衝撃を受けた。
当時はもちろん地元の友達と楽しい女子高生ライフを普通に送ると思っていたのに突然の親からの告白に「嫌だ」と抵抗。
しかし、親からの「あんたに選択肢はない」という言葉が遠慮なく突き刺さった。
また、戸惑う自分に「アメリカにも日本人学校あるから」という親の言葉に少しだけ安堵し、渡米。
しかし、現地の空港から家に向かう車の中で「日本人学校は今度住むところから少し遠いから、明日から現地の学校に行って」と突然言われた。
実は、1っヶ月ほど前から日本人学校にはいけないことはわかっていたが、若林さんのことを考えての行動だった。
学校見学をし、先生の話を聞き、時間割等を渡されて帰ったが、その時に何を話していたのかは全く分からず、泣きながら家に帰った。
本来、話すのが好きで大阪仕込みのボケやツッコミも然り、自分の想いさえ伝えられない絶望を感じた。
クラスメイトから誕生日を聞かれても発音が通じず、ジェスチャーでなんとかやり過ごした。
授業は、筆記体で書かれ、分からないので、見よう見まねで写したノートを親に解読してもらったが分からなかった。
そんな日々が3ヶ月ほど続き、成績表のようなものが配られた。
ボーダーラインがありその数値を下回ると進級できないというもの。
全部が65で進級はできたものの全てがギリギリで隣の男の子に成績表を取られ揶揄われ、クラスに晒された。
最初の取り決めで入ってきた最初の成績はどんなに悪くても最低ボーダーラインの65にするようになっていた。
悔しかった。
宿題には母国語が英語の子はの3〜40分で終わるところを、教科書を読んで設問に答えるのに4時間かかった。
時間がかかっても必ずやり遂げると、自分の中でルールを決めてやっていた。
親からは「そんなに夜中まで泣きながらやるんだったら忘れていったっっていいじゃない。宿題やらなくても問題ないよ。」と心配されていた。
頑固になっていた自分では「何がなんでもやって行かないといけないんだ」と決意固くし4年半を過ごしたよう。
元々不器用で何かを習得するにも時間がかかり、できないんだったら時間をかけてやるという手法をとっていた。
華やかな、明るい日本とは違う楽しさがあるんじゃない、と思われがちのニューヨーク生活は歯を食いしばって過ごす時間のほうが長かった。
最終的に、小論文のクラスの年間成績優秀者として全校生徒1,000人ほどいる中から表彰された。
最初は誕生日さえ言えなかったのが、ここまで自分の気持ちが伝えられるようになったんだとすごく嬉しかった。
自分が優秀というより努力が形として目に見える形で実ったことが、大きな自信になった。
その時にもらった賞状は今でも宝物で持っています。
ただそれでも、「アメリカに住んでるってかっこいいね」「帰国子女って将来のためになるね」と言われると
「私の今の気持ちを知らないで勝手なこと言わないで」、と素直に受け取れなかった。
未熟さと日本の学校への憧れがあったので、素直に受け取る器ができていなかったため「私の気持ちなんて誰もわかっってくれない」と思春期ならではの気持ちになっていた。
日本の学校に行っていなかったことがコンプレックスだった。
高校2年生の夏に日本に帰ることになって、ようやく日本の学生生活を謳歌した。
ようやくニューヨークで過ごした私の軸になっているなぁ、行ってよかったなぁと思えるようになった。
追い詰められてやらざるを得ない状況になった方が頑張れる、真価を発揮できる。
アナウンサーを目指した気っ賭けとなった。
と語る若林さん。
聞いているだけでも涙が出そうなほどの経験と努力が、ただ単にすごいとは言えない今の英語力を作っていることには尊敬に値するでしょう。
長いので少しカットしてしまった部分はありますが、Podcastでも聞くことができます。1っ回は聞いてみた方がもっと若林さんの壮絶な経験を追体験できると思います。
まとめ
いかがだったでしょうか。
・若林有子さんはTBSアナウンサー
・日本語の早口言葉、英語の早口言葉両方できる(対応力あり)
・TOEICは外資系企業でも通じる890点
・英語の取得方法は歯を食いしばるような悔しさと努力の連続で過ごしたニューヨーク4年半
素晴らしい英語力を持つ若林さん、その英語力にあやかりたいと方法を探すと、温床に浸かった自分では想像もできない経験でした。
突然告げる親御さん、突然投げ込まれた言葉がわからない世界。
何もかもが突拍子もないように感じますが、若林さんの性格をわかってかギリギリまで秘密にする親御さん。
結果的にはそれが一番だったのかもしれないと思わずにはいられませんでした。
辛い思いをたくさんしたと思いますが、その結果がこの素晴らしい英語力であると感じずにはいられません。
これからも彼女の活躍に注目していきましょう。