この事件は『史上最悪の少年犯罪』と言われています。
『足立区綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人事件』は1989年3月に東京都江東区若洲の空き地で、コンクリート詰めにされた女性の遺体が発見された。
この事件の被害者の女性は高校生で17歳、強姦目的で連れ去られ暴行、監禁の末に殺されたという惨たらしく、言葉に出すのも吐き気が出るような感情を起こします。
そんな事件の主犯格Bが3年前に自宅で孤独死をしていたことから最後事件に対し注目を集めています。
足立区女子高生コンクリ殺人事件の主犯格Bはアダルトチルドレン?

主犯格Bはどのような人だったのでしょうか。
主犯格Bはアダルトチルドレン?
この事件の主犯格Bはアダルトチルドレンだったのではないかといった声もSNSで見られます。
実際には、公表されていないので確証がありませんが、いくつかのエピソードからアダルトチルドレンなのではないかといったものが感じ取れます。
足立区女子生コンクリ殺人事件の主犯格Bの成長後の俺様気質は承認欲求?
自宅で孤独死をした主犯格Bは一体どのような人だったのでしょうか。
成長後の俺様気質は承認欲求?
主犯格は1971年5月11日生まれ。亡くなった当時は51歳と考えられます。
そんなBは小学校は野球、中学校は陸上に打ち込みスキーも好きというスポーツ少年。
問題行動を起こすこともなく一見すると元気で好印象を持つのではないでしょうか。
しかし、彼の生活には暗い部分もあり、話によると両親は共働きだったこともあり「家族で食卓を囲んだ事がない」という環境でした。
その寂しさも、スポーツに打ち込むことで気持ちを和らげることもあったようですね。
しかし、スキーで足首を骨折してからは大好きなスポーツをできなくなり、学校での成績は下がる一方。
高校へ進学してからは、その恵まれた180センチの身長で当時の日本人は高身長の人は少なかったこともあり、奇異に見られいじめの対象に。
自身の家庭環境、骨折により好きなスポーツができなかった、成績が落ちる、身長でいじめられるなど心身への負担は蓄積。
次第に不良とつるむことになり、今回の事件の主犯Aとも知り合い、Aに心を開いて相談するような仲になっていったようです。
事件後に出所した際に親戚があったときには「態度が大い」「俺様気質」という印象だったようでしたが、度重なる精神的負担で落ち込んだ自己肯定感の低さが、自信を持つような態度に変わったのではないかと感じ取れました。
また、出所後にローンを組んで車を買い、母親と離婚した父親に会いにいったとも言われています。
特に用事はなかったものの、幼少期ろくに関係を築けなかったこともあり、会いたい気持ちがあったのでしょうか。
もしかしたら、出所して強い精神を持って変わった自分を見てほしいという承認欲求があったのかもしれません。
このように、Bの幼少期からの家庭環境は複雑で、親からの愛情をあまり受けず、さまざまな相談事ができずに過ごしてきたのでしょうか。
彼の寂しさや悩みを聞いて救ってくれたのは運悪くも不良仲間であったAたちだったのかもしれません。
このようにさまざまなエピソードがアダルトチルドレンだったのではなかったのかと言われる理由なのかもしれません。
まとめ
今回は、1989年3月に起きた『足立区綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人事件』の主犯格Bはどんな人だったのかをまとめてみました。
Bは幼少期から家庭環境が複雑で、あまり親の愛情を受けて育ってこなかったようです。
そんな寂しさを埋めていたのはスポーツでしたが、骨折をしてからは自信を消失しさらに、高校へ進学してからはいじめに遭い、精神的にもつらい時期を過ごしていたようです。
その寂しさや悩みを聞き救ってくれたのは運悪く事件の主犯格Aでした。
被害者のことを考えると悲しくて聴くに絶えない事件ですし、絶対に許せないことです。
しかしBにおいても何か違った道がないのではないかと思わずにはいられませんでした。


