足立区女子高生コンクリ殺人事件主犯格Bが3年前に亡くなっていた事が報道されました。
この事件は、「史上最悪の少年犯罪」とも呼ばれ日本中に衝撃が走りました。
彼は逮捕され刑務所に懲役5〜10年の契機を言い渡され、契機満期で出所。
そんなBは最後にどこで暮らしていたのでしょうか。
足立区女子高生コンクリ殺人事件主犯格Bの自宅はどこ?

出所後はどこで暮らしていたのでしょうか。
主犯格Bの自宅はどこ?
主犯格Bが最後に住んでいた家の情報については限られています。
出所後の2000年12月に中国籍の女性と結婚し千葉県にで暮らしていました。
しかし、長続きせずに数年で離婚しました。
その後は、母親のいる埼玉県に引っ越し、母親と一緒に暮らしていたようです。
ですが、母親はBを腫れ物に触るように接しており、本人状態だったようです。
事件のことを考えるとしょうがない、当たり前のことと思えなくもありません。
2004年には知人に対し監禁未遂を起こし再犯で逮捕。
母親とはこの逮捕をきっかけに別居となりました。
足立区女子高生コンクリ殺人事件主犯格Bの自宅は閑静な住宅街の片隅
主犯格Bは何処最期を迎えたのでしょうか。
自宅は閑静な住宅街の片隅
2004年に知人に対する監禁で懲役刑を言い渡され2009年に府中刑務所を出所した際には、帰る場所がありませんでした。
度重なる素行の悪さには母親も一緒に住むことを拒否したのでしょう。
行く場所がなくなったBが住んでいたのは、生活保護受給者や元受刑者など、部屋が借りにくい人たちを受け入れてくれるアパートでした。
埼玉のアパートという情報がありますが、『玉県・生活保護の賃貸物件一覧』によると2025年12月現在、物件数744件部屋数1129戸数あり、そのほとんどが閑静な住宅街に立地しています。
場所の特定は難しいですが、生まれ育った埼玉の地の中でひっそりと生活をしていたのではないでしょうか。
親の愛情を欲しかった、自分を認めて欲しかった、自分を見て欲しかったという承認欲求が裏目に出てしまし、結果的に周りに誰もいなくなってしまいました。
彼は自宅アパートの狭いトイレの中で51歳という人生を一人で遂げました。
まとめ
主犯格Bが亡くなってから3年。
彼が亡くなったのは、生活保護者や、元受刑者が身を寄せるアパートでした。
場所の特定はできませんが、府中刑務所を出所後は40歳も近くなっていました。
彼は生まれ育った埼玉に戻り、閑静な住宅街で道歩く人の声を聞きながらひっそりと生活をしていたのでしょうか。

